今年も「One World One Health in Asia」をメインテーマに開催されたアジア野生動物医学会。2005年にスタートしたこの集会も,今年で8年目となります。
SPDPは2006年のバンコク大会からこの会に参画してきたとともに,サル疾病に関するセッションを企画してきました。そのアレンジに力を尽くした後藤俊二さんが昨年2月に他界し,集会の中でだんだんとSPDPの色合いが薄くなってゆく懸念うずまく中,不退転の決意を持って参加してきましたのでその様子を報告いたします。
[報告 板垣伊織]
今年の集会はやや特殊な形式で開催されました。まずはこの点について説明いたします。
最初は本大会。
2012年10月10〜12日の三日間,バンコクで開かれました。会場はバンコク国際貿易展示センター (BITEC)。The Asia Pacific Veterinary Conference (APVC),A Healthier Future Through Laboratory animal Research (AHFTS),Pet Vet Asia Expo と合わせて四大会共催の,いつになく派手な集会です。
(写真: Wat Arun。バンコクにある「暁の寺院」。古刹)
一方,本来のAsian Society of Zoo and Wildlife Medicine (ASZWM) 単独集会はサテライトシンポジウムという形で,10月13日と14日の二日にわたってチェンマイで開かれました。チェンマイはバンコクから700kmほど北にあるタイ王国の古都です。会場はImperial Mai Ping Hotel。本大会とサテライトシンポジウムの両方に参加する人は,バンコクから航空機もしくはバスでの移動となりました。
★本大会 in バンコク☆
左はバンコクの会場となった "BITEC" です。ホームページから借用したので素敵な感じですが,会期中は実際,モンスーン末期のどんよりした空から午後には驟雨が叩きつける,あまり好ましくない天候でした。
しかし会場内はすごい熱気です。共催の四学会に集まった人たちと無数の商業展示ブースの出店で,二階フロアは新装なった東京駅の構内並みの喧噪です。ASZWMは招待講演,一般口演,ポスター発表の三会場に分かれていて,その間の移動もままならない状態でした。
左の写真は初日の参加受付風景です。事前登録者の名前が見つからないなど,この時から既に混乱は始まっていた様です。列 (?) に並んだ状態で長い時間待たされましたので,その間に周りの人と旧交を温めつつ,写真も撮ってみました。
さて,ASZWMの招待講演です。昨年タイで発生した大規模洪水からの復旧や,オイルバードの保護活動,そしてもちろんフクシマでの野生動物保護活動の続報がありました。自然災害が発端となったにせよ,いずれもヒトの経済活動が野生動物や家畜,展示動物の生命や健康に甚大な影響を及ぼしたケースです。講演ではその懸命な保護・復旧活動が紹介されましたが,ひとたび起こった事故の計り知れない影響に比べると,気の遠くなる様な努力の様に思いました。今あるリスクと今後発生し得るクライシスを客観的に分析すること,施設ごと,自治体,国レベルでの危機管理体制の確立と維持向上がいかに重要であるか,改めて考えさせられました。
もう一つの大きなトピックスはアジア野生動物医学会の今後です。
一昨年の集会より告知されていた学会認定 (Diploma) 制度がいよいよ来年スタートします。担当役員は大沼学さん (国立環境研究所),左の写真で起立していらっしゃる方です。認定制度の開始に先立って,会の中心となり,認定候補者を推薦する役割を担う役員十数名の委嘱が行われました。日本人では会長の柳井徳麿教授と大沼さんをはじめ,天王寺動物園の高見一利さんさんなど,多くの方が認定を受けました。
いよいよ次回は皆様の番です。認定はポイント制で,上記認定者の推薦,アジア野生動物医学会への出席 (5回以上),関連論文の公表,関連する他の認定,そしてもちろん認定試験がポイントとして加算されるとの事です。詳しくは学会からのアナウンスをお待ち下さい。
一方,口演のセッションでは,水棲,陸生の様々な動物に関する学術的知見や症例報告がなされました。ネパールやバングラデシュでは,クマやトラ,サイとヒトとのコンフリクトが深刻な問題となっています。日本でもこの秋はクマが市街地に出現する機会が多く,不幸にも出会った人が重傷を負うケース,逆にクマが射殺されるケースも日々報道されています。しかしこれらの国々の山間部では,農業被害の及ぼすダメージや動物に出会ったときに脅かされる生命の危険性は,日本の比でないことは想像に難くはありません。この悲劇を防ぐために野生動物医学会も知恵を寄せ集めている訳ですが,それよりもコンフリクトの最前線で暮らす農民たちに対策を聞き取り調査したという研究成果が発表されました。最も効果が高いのはサイの侵入を防ぐ電気フェンスとのことでしたが,設置費もかさむということで,地域で対策委員会を設置して情報の共有と注意喚起に努めているということでした。
その他,SPDP会員の木戸伸英さん (横浜市野毛山動物園) が同園のキタオグロワラビーで発生した顎放線菌症の病態や発生要因について調査・検討された結果を報告されました。
キーワードは年齢と気温とのことでしたが,ここでは発表の様子を撮影した写真を掲載するのみにとどめます。
詳しいことをお知りになりたい方は,いちど野毛山動物園に同氏を訪ねられてはいかがでしょうか。
ポスター会場とASZWM招待講演の会場はフロアの両端で,その間に東京駅構内 (状態) を抜けなければならず,足を運ぶのに一苦労でした。特にポスターブレゼンテーションの時間が設けられていなかったせいか,この会場は別世界の様に閑散とした感じでした。個人的には,インドネシアのサル保護施設の検疫でカニクイザルの結核を摘発した事例調査に関する発表が気になったのですが,ついに提示者を特定することができませんでした。しかしこれ,プログラムによると口演に含まれていたはずですが,いつの間にかポスターに切り替わった様です。
プログラムに含まれていても要旨が掲載されていない演題や,そもそもプログラムに掲載されていない演題が頻繁にでてきて,やや混沌とした印象の三日間でした。最終日の最後の縁者が拍手で送られたあと,チェンマイ便に乗り込むため一路バンコク国際空港を目指しました。
★サテライトシンポジウム in チェンマイ☆
サテライトシンポジウムとの名は冠しているものの,われわれにとって本番の感が強いチェンマイの集会です。10月13日 (火) は学会 Excursion でチェンマイ動物園を見学した後,左の The Imperial Hotel Chiang Mai で開会セレモニーがありました。
そして14日 (水) ,集会当日。参加者は15ヶ国,78名。Elephant, Elephant-2 +α, Clinical Medicine, Wildlife managenent, Asian bear, Poster session, Zoo Vet network, そして Non-human primate の8つのセッションに分かれて熱くディスカッションが繰り広げられました。
ネバールで問題となっているアジアゾウの結核は,一昨年から集会で取り上げられています。
ネパール農村部においてヒト社会と密接な関わりを持っているアジアゾウ。その管理体制は意外と複雑で,育成,労働,そして繁殖と,その時々のタイミングに応じた飼育形態があり,場所も異なります。それだけに感染源の特定や罹患動物のスクリーニングが難しい訳です。従前より使用されてきた "Elephant TB Stat-pak" と,同じく結核菌の特異抗原を検出する "DPP Vet TB" の検出精度比較したところ,後者が優れていたとのことでした。残念ながら優れた検出力を持つ "DPP Vet TB" はまだ開発段階の診断薬で,市販されていないとのことです。それで "Elephant TB Stat-Pak" を第一スクリーニングとし,結果により "DPP Vet TB" も用いる診断フローを取り決め,これを毎年繰り返すことによって罹患動物の摘発に努める方針をたてたとのことです。このように診断・対策フローをあらかじめ決めておくことは,非常に重要なことです。特に結核の様な致死的で,コロニーに激甚なダメージを与える人獣共通感染症の場合,いざ疑わしい動物が現れたときに明確な検査法と判断基準が決まっていないと,どんどんあやふやな検査の深みにはまるだけで有用な情報は決して得られません。
東南アジア各地のクマに関する問題も,ASZWMの集会が開始されて以来議論されています。「熊の胆」とは昔からある漢方薬ですが,国によってはいまだに汎用されています。そのために野生クマを密猟するとは言語道断な話ですが,悲しいことに事実としてあり,たびたびこの集会でも取り上げられてきました。今年の集会では「クマ牧場」の現状が紹介されました。日本各地にあるような観光牧場のことではありません。クマを飼育し,胆嚢を手術によって体表に開口させ胆汁を採取するための牧場です。長期間胆汁を採取され続けたクマでは,慢性の肥厚性胆嚢炎が進行し,摘出された胆嚢はまるで腫瘍ができた様な外観を呈していました。またクマ牧場では,実際に腫瘍が死因の40%を占めるとのことです。肝癌や消化器系の癌がその代表ということでした。ただし野生に暮らすクマの腫瘍発生率や,発生した腫瘍の種類に関するデータはありません。これらの腫瘍が胆汁採取に起因するものかどうか,更なるデータの蓄積が必要です。
Session Non-human Primates
今年の Non-human Primate Session は,やはりSPDP会員の清水慶子さん (岡山理科大学) と National Pingtung (屏東) University (台湾) の女子学生,利発なWei Ning Weiさんの進行で始まりました。ここに限らず,どのセッションでも座長はベテラン (清水先輩すみません) と学生さんもしくは気鋭のペアで構成されていました。若手を育てるというASZWMの意気込みが感じられます。
話はいったん脱線します。若手を育てるというと,今回の集会,ASZWMのスポンサーシップでネパールとミャンマーから数人ずつ,学生と若手の参加が可能になりました。野生動物や家畜,人類と自然環境に関す重要な情報は世界中のどこにでもあります。経済的な理由で貴重な情報が共有できないことがあってはなりません。今回の集会で試みられたこのASZWMの対応は非常に重要な意味を持っていると思います。これによってアジア各地に蒔かれた人材という新しい種は,きっと将来大きな樹となり実をなすでしょう。SPDPもこの活動に協力することはできないでしょうか。皆様のご意見とご検討を切に希望いたします。
本題に戻って,今年のサルセッション。SPDP役員で京大霊長研の鈴木樹理さんがニホンザルのSRV-4感染による血小板減少症,森林総合研究所の大井徹さんがニホンザルによる食害対策についてそれぞれお話しされ,加えてわたくしがカニクイザル結核の臨床症状について若干の知見をお示ししました。座長も含めて都合3人がSPDP会員で,まさに当研究会のアジアにおける情報発信の拠点です。冒頭に書いた心配をよそに,故後藤俊二さんが長年耕し続けてきた土壌はまだしっかりと生きているようです。この畑を受け継ぎ,作物の種を蒔いて育てるのはわれわれの役目です。
今一度SPDPがアジアに向けてどんな貢献ができるのかを考え,実行すべき時ではないでしょうか。
最後ですが,2012年10月13日のウェルカムパーティーの冒頭,後藤俊二大人の追悼セレモニーの時間が設けられましたので,その様子をお知らせいたします。
いつの間にか雨期も明けたチェンマイの夕刻,パーティー会場に出向くと,入り口で大きな花輪に囲まれた後藤俊二さんの写真が出迎えてくれました。京大霊長研時代のご同僚,清水慶子さんの追悼スピーチ。誰もが知っている後藤さんのあの物言いや態度は,氏の人一倍の優しさや細やかな心遣いの裏返しだったと教えてくれました。でも,それはきっと後藤さんに会ったことのある人なら,みな感じていたことと思います。
在りし日の姿がスライドショーで会場に投影されました。すべて清水さんのコレクションです。東南アジアでの仕事風景,その合間のスナップショットが多く,氏がどれだけこの地域に力を注いでいたか,愛していたかが彷彿とされます。
そういえば,会場入り口のポートレイトも清水さんが国立ソウル大学の構内で撮影されたものでした。あれは2009年7月,やはりASZWMの集会でのことでした。
後藤さんは奄美大島にある和先生の施設を辞められた後,タイに移りたいとおっしゃっていたそうです。まさにそのタイで,旧知の人,そうでない若い人,いろいろな国から集まった人に偲ばれて,後藤さんは喜んでくれたでしょうか。長い間どうもありがとうございました。
【大切なお知らせ】
次回のアジア野生動物医学会の集会は,
2013年10月18日 (金)〜20日 (日) です。
シンガポールでお会いしましょう。